全日宮城の会員は全員無事でした・・・しかし


(社)全日本不動産協会宮城県本部
本部長  齋藤 晋

 マグニチュード9.0 震度7 死者行方不明者は数万人 未だ確定せず 深刻な原発問題が加わった未曾有の「東日本大震災」桁違いの爪痕を残し 震度6強の余震や5強も頻発する毎日。そして1カ月が経過した。宮城県の復興を3段階に分け、復旧期3年・再生期4年・発展期3年の10年間で達成しようとの目標が発表された。そんな矢先に、福島原発がレベル7に修正された。

 宮城県本部会員の安否確認が、東日本大震災発生後27日目の4月7日全て完了した。石巻支部(牡鹿郡女川町)会員の方が609番目最後の人である。
 しかし奥様は津波の犠牲に遭われた。合掌。事務所(自宅)は完全に流されてしまった。実は2日前に現地を訪れ、事務所を含むエリアの惨い状況は認識していた。 

 宮城県本部の会員に犠牲者はいなかったが、家族や従業員が亡くなったと言う報告は何件もあった。避難所にいる会員も相当多く、現状把握はまだまだこれからであるが、建物を失ったり車が流されてしまった報告の何と多いことかと驚くばかり。

 安否調査の次は被害状況の確認であるが、どこから手をつけたら良いのか、一体いつまで掛るものか想像すらつかない。罹災証明の手続きに入れない方も多いことだろう。
 3月15日に県本部事務局に電気が戻り災害対策本部を設置した。最初に全会員あてファックス送信を試みたが、約半数が送信不能ではねつけられた。その後携帯が通じるようになり、役員らの情報網などから次々確認が取れ出した。しかし、まだ数は少ない。

 次は事務所、自宅の順に電話を掛け、呼び出し音が鳴る場合と通信不能のアナウンスが入るのとを区別した。この段階でまだ100人以上の方の安否が取れないままである。

 遅々として進まず、気がもめる中での3月22・23日の2日間現地調査に向かった。テレビで見た程度ではない。物凄い惨状であり、まさに地獄絵図そのものである。電柱(電気・電話)は殆ど折れて倒れていたし、海岸から2キロも離れているところに船が横たわっていたり、JRの線路は枕木ごと流されていた。電話が通じる筈はないことをこの目で確信した。

 そして更に2週間後の4月5日には、残り5人になった会員の訪問を行い、2人の元気な姿を確認でき、あとはメモを残して帰ってきた。翌日ご本人から電話が入り、この段階で残り1人となっていたのだった。

 1か月が過ぎようというのに、石巻の何割かには未だに電気が来ないし水も使えない、店も開いていない。駅前のアーケード街はまだ泥だらけのままである。
 女川は壊滅状態と言って過言ではない。気仙沼の鹿折地区は千数百軒という大火に見舞われた所。まさに目を覆うばかりで、言葉にならない。名取市閖上は今でも海岸から2キロ手前までしか行けない。仙台市若林区荒浜地区の海岸線が物凄く広がってしまった。

 仙台空港の瓦礫撤去は急ピッチで進んでいた。もうこんなに?4月13日から羽田・伊丹に限定した臨時の数便運行が決定したとの情報。これには非常に驚いた。東北新幹線も4月中には全線再開されるらしいが、仙台駅の被害も甚大だったようだ。その後判明したのだろうか、3週間前にはJRの職員が2千名不明になっていた。交通網の整備は順調のようだ。

 亘理町鳥の海も阿武隈川沿いから市場まで何もない。山下・坂元は見るに忍びない。海岸線から国道6号線を超えて5キロ先まで飲み込まれてしまったところも見た。

 東松島・塩釜・仙台港・多賀城の被害も半端じゃない。広大な県土面積を誇る、岩手県と福島県を合わせた浸水面積の、実に2倍以上も飲み込まれた宮城県の沿岸は、例えようもなく悲惨そのものである。

 南三陸町の地盤沈下(水没)は、地方交付税交付金に影響を与えるくらい、相当の面積に及んでいるようだ。何ということだ。隆起する筈がなければ大規模な埋め立てを行うのか?

 4月2日から4日にかけて総本部の災害対策本部の一員として、原嶋専務・菊田総務委員長・工藤課長に同行し福島県本部・いわき市の岸部支部長の案内で現地を見て回った。
 原発という特別な事情が、風評も加わって深刻な影響を与えている大変な地域である。ガソリン、食糧など全てが入ってこないことによる、数万人の一時避難が話題になった。

 仙台からは佐々副本部長の運転で、岩手県本部・陸前高田を見て気仙沼に入った。
 南三陸町へは道路が寸断していて入れず、翌日は名取市や仙台空港・岩沼などを見て回った。「テレビで見るのとは大違い。直接現地に入ってはっきり分かった」と、異口同音の同乗者5人であった。

 さて、これだけ書いても思いの半分も伝わるのだろうか?巨大な洗濯機の中に鉄片や材木・墓石などにぶつかり、掻き回されながら亡くなった、手や足が引きちぎれたご遺体を捜索している米軍や自衛隊の皆さんには、いくら頭を下げても足りることはない。

 変わり果てた肉親を特定できないまま土葬されてしまうご遺族。それを、肉親を亡くされた南三陸町の元役員が土葬を手伝っているのだ。「米軍の皆さんが懸命にがんばっているのに、動かないわけにはいかない」と言い切った。

 今後は、復興へ向けた対策が待ったなしである。災害対策本部内に復興支援チームを立ち上げ全力で取り組んで行く所存である。
 そして、日本中の全日会員からいただいた温かいご支援に、県本部会員一同心から感謝を申し上げ、一丸となって早期の復興を誓うものである。

  平成23年4月12日